お世話になります。
うう。しまああです。
留学の洗礼①はこれ。
私は海外に行くと、ほとんど日本食は食べないようにしている。
海外に行ったのに、海外のものを食べないのは勿体無いし、なんで海外に行っているのか、わからない。「郷に入れば郷に従え」は我が家の教えであったし、私が尊敬する数々の作家兼冒険家もそのように行動している。
だから、海外に行っても、日本食を食べようとするのが、あまりよくわからない。まあ、謎の海外寿司には興味があるけど、優先順位は低い。
留学中もこの考えはほとんど変わっていない。
日本食を海外で食べようとすると、高いしね。
まあ、だから、人から誘われたら食べても良いけど、自分からは日本食は食すまいと心に誓っていた。
私はこの信念を曲げるつもりはない。
...と思っていたはずだった。
この信念を貫くことを聖書に誓っても良いとすら思っていたのに、その信念はあっさりと崩壊した。
この考えを覆さざるを得ない、大事件が起きたのだ。
それは、留学生活が始まって一ヶ月が経とうとしていた頃である。
確か、週末の出来事だ。
私は友人のコテージに誘われていた。
Ouluには、日本好きのフィンランド人のグループがあって、私たち日本人は度々、フィンランド人のコテージに招かれていた。そしてその2月の回は、私が留学して初めて行く回だった。
ドキドキとワクワクと緊張で危うく病気になるんじゃないかと思いながら、私は日々を過ごしていた。金曜日に出発だったので、その週は、普段通りに授業を受けていたはず。
そして、金曜日。
その日は授業がなかったんじゃないかと思うけど、はっきりとは覚えていない。
というかそれどころではなかった。
危うく病気になりそうだとか思ったせいで、案の定というべきか、私は熱を出していた。
大事件である。すぐに私は友人に連絡を取って、コテージに行けない旨を伝えた。
私はぐったりとベッドに身を横たえ、死体みたいにグデっとなった。
なんか、めちゃくちゃしんどかった。未だかつて、風邪というものはこんなにしんどかっただろうかと思うくらい、しんどかった。腰は痛いわ、頭は悪いわ、体は重いわ、体は熱々だわで、ベッドから起き上がることすら、億劫だった。
たぶん私の体は、日本の風邪に対する免疫は持っていたけど、フィンランドの風邪の菌に対する免疫は全くなかったのだ。初めての相手に、私の体は、私の持てる全てを持って歓迎したに違いない。私の体の免疫システムによる歓迎が盛り上がりすぎたせいで、今までないくらいにしんどかった。
私はそう理解している。
COVID-19が流行った時に、みんながめちゃくちゃしんどい思いをしたのも、強毒性のウイルスであることもあるが、未知のウイルスに体がハッスルしてしまうせいではないかと、この時の経験から、私は推察していた。
話を戻そう。
いつも朝出発する、ルームメイトのイタリア人が部屋に帰ってきた頃には、私は風邪の絶頂期に突入していた。スーパーに行く元気なんて、これっぽっちも湧かなかった。
「う〜しま〜、大丈夫?」
「う〜ん。風邪ひいたみたい」
気遣いの塊みたいなイタリア人だったので(彼には部屋を空けることを伝えていた)、すぐに様子を察して、私に声をかけてくれた。
風邪ってなんていうんだっけと思って、"I have a fever"をネットで調べたのは彼には秘密だ。めちゃくちゃ頭の熱がフィーバーしすぎて、全然英語が頭に思い浮かばなかった(catch a coldでもいいけど、完全に熱があったから、feverでいいと思う)。
「そりゃ大変だ。なんか必要なものない? 食べ物買って来ようか?」
その言葉ほど有難かったことはない。
その時、パッと頭に思い浮かんだものを私は口に出した。
「米が欲しい。米が食べたい。」
なんだろう。
人は弱っている時に、故郷の味が欲しくなるのだろうか。
そうして、私は、1ヶ月ぶりに米を食べることになった。
ちなみに、フィンランドには、puuroriisiという、フィンランド人の知人(日本旅行経験者)が言うところの”ゲロまずい”米がある。ミルク粥(riisipuuro)用の米(riisipuuro用の米だからpuuro=粥、riisi=米でpuuroriisi。面白いよね)なのだが、味は、日本のものと比べてはいけない。なので、一ヶ月くらい経って日本の米の味を忘れてから食べることをおすすめする。私のように。
実際、のちに日本人が親から送ってもらった(?)お米を食べたあと、puuroriisiを食べた時は、「なんだこれ、クソまずいな」と私も思った。
あと、海外行くなら、鍋で米は炊けるようになっておくと便利。私は日本で普通の学生生活を送っている間に学んだけど。
とにかく、その時の私は、
「うお〜、米だ!米だ!」
と謎に興奮していた。自ら米を絶ったくせに。
その時は、米はやっぱりめちゃくちゃうまいなと思った。
そして、やっぱ病気の時は米だよな、という謎の感動を覚えていた。
私は悟った。
信念は、病気には勝てない、と。
いや、勝つ必要はないのだ。病気に打ち勝つためなら、私は信念くらい、ぐにゃぐにゃに曲げてみせる。
そして、私のルームメイトさん。
あの時は本当にありがとう。とても嬉しかったです。
それでは〜。uuuu!! simaaaaa!!