記憶の中のフィンランド

フィンランド留学時代の記憶を元に。アフィリエイトでガッポガポ作戦。

初訪芬②

お世話になります。

うう。しまああです。

 

今回はこれ↓の続き。

uuuuu-simaaaa.hatenablog.com

 

 

前回のあらすじ。

95%はどうでもいい話。残り5%で全ての内容を説明できる(以下の通り)。

留学したいと思っていた私は、大学で短期海外研修プログラム(英語能力は問わない)を見つけ、審査に合格。行き先は偶々フィンランドだった。以上。

 

というわけで、短期海外研修プログラムに参加することになった私は、事前研修をちょこちょこサボりながらも、一緒に行く仲間たちと共に、事前準備を進めた(部活が週6-7日、朝5時から日によっては夜9時半くらいまであったため、一緒に行く仲間たちとのふれあいの時間がゴリゴリ削られた。部活とはそういうものである。すまない、仲間たち)。

 

そして、部活の先輩に「休みます。すみません。ご迷惑、ご苦労おかけします」等々謝りながら、しれっと2週間の休暇を勝ち取り、出発。

 

当時はフィンランド直通便がなかったので、行きはフランクフルト(ドイツ)で、帰りはヒースロー(英国)でトランジットして行くことになった。

 

欧州は初めてだったので、ドキドキが止まらない。

...はずだったが、部活を公的な理由で長期間休めることが嬉しくてたまらなくて、さらに、久しぶりの飛行機にめちゃくちゃテンションが上がっていた。仲間たちと静かに盛り上がり、気がつけばフランクフルトに着いていた。

 

フランクフルトに降り立った私は、仲間たちから「サイトシーイング」という呪文を唱えれば、EUシェンゲン協定国)への入国審査は大丈夫と教えられ、審査の列に並んだ。そして、自分の番。私は、無事噛まずに、教えらえた言葉を唱えることに成功。担当した女性にニコッと笑いかけられ、”Enjoy your trip”的なことを言われた。ドイツの入国審査官はなんて優しいんだ、と感動した。

それが初めての欧州体験だった。

 

まあ、私たちの入国目的がsightseeingであったかはわからないが、細かいことを説明できる英語力など、当時の私が持ち合わせているわけがない。簡潔にそれっぽいことを伝えることが重要なのである。

 

トランジットを済ませ、そのまま、Finnairに乗って、爆睡。出発前日まで部活に明け暮れていたこともあって、流石に疲れていたらしい。

仲間たちに爆睡姿を写真で撮られたのは、記憶に新しい。

 

前半一週間はHelsinki。後半一週間はRovaniemi。

仲間たちと一緒に生活して、なんとなく感じたのは、他の日本人学生との時差。21時に寝て、5時に起きていた私は、なんとなく他の人より早く眠くなるのだ。夕ご飯を食べる時間には、すでに眠かった。

 

 

さて。

ここまで、私は自分が英語を話せないと散々書いていたが、正直、この当時は自分の英語の喋れなさ加減をあまり認識していなかった。英語をマジで話せないことは、英語で何かを話そうと思った時に、初めて認識するのだ。

 

現地の学生と交わったり、企業訪問したりした時に、それは身に刺さるようにわかった。

リスニングはマシだった。中学・高校でもやるからね。

ところが喋る段になると、口から何も出てこなくて、口がパクパクした。聞こうと思ったことも、何度も何度も頭の中で唱えて、やっと口から出てくるぐらいだ。大変困った。入試レベルで言うと、私の英語の成績も特段悪かったわけではない。人によっては、「凄い」と言うし、人によっては「まあまあだね」と言うし、人によっては「もう少し頑張れるんじゃない?」と言うレベルだ。

 

でも話せない。

思えば、書かれた日本語を英語にすることはできても、自分の考えをその場で英語にするなんてことは全然やったことがなかった。

 

やった会話はこんな感じ。

私  "Hi"

相手 "Hi"

私  "I'm う〜しま〜."

相手 "I'm 〇〇"

私  "Nice to meet you"

相手 ”Nice. to meet you”

私  "..........あ〜ok"

相手 "??(何が!?)"

 

わかってはいたけど、「英語ってマジで話せないんだぁ」と思った。

これはもはや発見である。英語とはツールの1つに過ぎないかもしれないけど、英語以外にできないと、英語に頼らざるを得ない。「相手の言語ができないのに、英語もできないってどういうこと?」という話である。

 

 

英語に限らず、私たちは様々なフィンランド的外国的体験をした。そしてそれは私にとっては新鮮な体験だった。スマホを持っていない時代に(私は長らくガラケー信者だった。今もスマホは手放したい)、2週間で800枚近く写真を撮ったことからもそれは明らかである。

 

例えば

・会社の会議室横にサウナが設置されているのを見せてもらった。

・英語にも訛りがたくさんあることを知った(Finglishという呼称を知ったのは、留学の時だが)。

地球温暖化が進む結果北極を通る船のルートができる(当時が商船三井が航路開発中だという情報は巷には届いていなかった)ことを教えてもらった。温暖化のメリットなんて考えたこともなかった。

・「今日オーロラ見れるかもよ」と言われて、みんなで湖のほとりに行って、将棋かチェスかをしながら、踊っていたら(踊っていたのはたぶん私だけ)、オーロラが見れた。

などなど。

 

写真もどうぞ。

会社の会議室横のサウナ。留学生時代に友人の会社でこういうサウナに何度か入った

 

フィンランド人にそれなりに優しかったというロシア帝国のおじさん

 

Helsinkiの著名コスプレイヤー

 

ポーズ取る鶏の絵は珍しいなと思って(ヘルシンキ大学図書館だったと思う)

 

1回の食事で1、2度おかわりし続けること2週間で、飽きがくるフィンランドの朝ご飯

 

ヘルシンキ大学図書館だったと思う

 

Aalto yliopisto(アアルト大学)のおしゃれ照明

 

Lapin yliopisto(ラップランド大学)が手配してくれた(大学の?)コテージ

 

雑魚オーロラにも見えるけど、ただのデジカメで撮ったからまあまあなオーロラかも。

 

まあ、どこかに訪問中は、英語が念仏のように右から左に流れる時間を過ごし、それ以外のほとんどは一緒に行った日本人とわあわあやっていただけ。

 

とはいえ、それだけでは行った意味がないので、英語のできない私は、とりあえず、日本語ができるフィンランド人と一緒に行動した(大学にいる日本語学科の学生と交流)。もちろん日本人複数に対して相手は1人だ。外国人と1対1で向き合うなんて、怖くてできるわけがない。

 

その時に一緒に街を歩いたフィンランド人学生の言葉が今でも耳に残っている。

その学生は2浪して、日本語学科に入学した人だったと思う。フィンランドでは、浪人や留年が当たり前。

日本だと、浪人や留年が悪とされている感があって、浪人していると肩身が狭そうな感じがするが、そのフィンランド人の学生は実に堂々としていた(なぜか私の周りの友人は、例外的に浪人or留年している学生がやたらと多かったせいで、そういうことへの肯定感がやたらと強かったけど)。

 

「やりたいことをするために、時間がかかるのは仕方ない。」

 

なんてことはない言葉かもしれない。

でも、とにかく当時の私は衝撃を受けた。そして、なんとなく嬉しくなった。本来そうだよな、と思った。だって、人間って短い期間で何かを成し遂げられるほど、優れていないもん。いや、凄いひとはたくさんいるけどさ。凡人には時間がかかるのよ。やりたいことをやるために、うまくできなくて浪人したりするのは、当たり前のことだ。

 

この言葉は、私の人生の指針となった。

 

だから、この時から数年後。進路に悩める部活の後輩にも、ドヤ顔でこの言葉を授けた。人からの受け売りであるにも関わらず。

無駄に感銘を受けた後輩は、今でも私に無駄に尊敬の眼差しを送ってくる。その無駄に眩しい視線を送るべき先は私ではないんやで、と言いたいが、尊敬の念を受けることが普段あまりないせいか、それが気持ちよくて、いまだに後輩に真実を告げられていない。果たして、私が真実を告げられる日は来るのだろうか。

 

話を戻そう。

とにかく、私は、そういう考え方ができるフィンランド人に興味を持った。そして、そういう考え方ができる人を育んだフィンランドに興味を持った。もっとざっくり言うと、話す内容とか基本となる考え方が日本人とは違っていて、単純に面白かった。

 

だから、またフィンランドに来ようと思った。今度はほんの少しだけ英語を話せるようになって、最低限の意思疎通はしたいと思った。英語を話せるだけで、話をできるフィンランド人の数は格段に増えるのだ。

 

そこらへんに生えてるmustikka(ブルーベリー)

とカッコつけてみたけど、実際は、食い意地の面の理由も、小さくない気がする。森にmustikka(ブルーベリー)が生えていて、食べ放題なのだ(Cf.自然享受権Freedom to roam - Wikipedia)。私は高校野球の度にテレビで流れていたCMのせいで、ブルーベリーに目がないから(もうね。目がブルーベリーで、ブルベリアイなのだ)、私にとって、フィンランドはまさに夢のような国に思えた。

 

でもまあ、いいや。ほら、食い意地で留学したことにするより、現地の人々の考え方に感化されて留学したということにした方が聞こえがいいしね。私はたぶんフィンランド人ともっと話してみたくて、留学を志したのだ。きっとそうに違いない。

 

 

そして、初めてフィンランドに行ってから、2年半後。

私は、フィンランド的生き方をもっと知りたくて、オウル大学に留学した。ブルーベリーに釣られたわけではない。

 

 

 

 

それでは〜。uu!! simaaaaa!!

 

 

追伸

ヘルシンキの学生が「私、オーロラ見たことない」と言っていて、衝撃を受けた。

これがカルチャーショックである。