記憶の中のフィンランド

フィンランド留学時代の記憶を元に。アフィリエイトでガッポガポ作戦。

初訪芬①

お世話になります。

うう。しまああです。

 

だいぶ前の話だけれど、

親と一緒に買い物に来ていた友人と街で偶々会った時、友人は親に私を紹介してくれた。

「この人が、フィンランドでスーパー行こうとして、行く途中で見つけたトナカイをどんどん追いかけて行っちゃって、ついて行った私と迷子になった、う〜しま〜くん。片道15分で行けるところを40分以上かかっちゃった」

友人の親御さんは、何とも名状し難い表情をして、一言、

「すごいねwwwwwwwwww」

と褒めてくれた。やったね。

 

人間誰しも、トナカイ見たら追っかけたくなると思うんだ。それが初めてフィンランドに行って、初めて間近でトナカイを見た時なら尚更だ。

 

私が追いかけたトナカイ

 

 

というわけで、今回は初のフィンランド訪問の話。

今はフィンランド好きめの私だけど、最初は何とも思っていなかった。というか視界に入ってもいなかった。やけに日本で流行っているから、避けようと思っていたくらい。人が多いってことがあまり好きじゃないので、流行りとかからは後ずさろうとするのだけれど、フィンランドに関しては、偶々、流行りの渦の中に取り込まれてしまった。本当に偶々。

 

 

でも、この話をするにはさらに昔に遡らなければならない。

そう。それは遥か昔。小学生くらいの時。

私は謎にフランスに憧れていた。母親に「将来フランス人と結婚する」と宣言したところ、外国大好き母さんは大層喜んだ。

「楽しみね。私はアラブ系の女性の顔が好きだから、アラブ系のフランス人と結婚したらいいんじゃない?」

「わかった」

当時は小学生。私は阿呆の権化であった。

「母よ。凄いことをのたまったよ、あなたは」

と今なら思う。私が想像していたフランス人と母が言ったフランス人は、(差別しているわけではないが)別物だ。だって、母が言ったことは、(人種的な話になってしまうが)アラブ人と結婚すればいいじゃないと言っているのとほぼ変わらない。さらっと自分の欲望をねじ込んだのだ。

まったく母親という生き物は凄まじい。

 

とにかく、当時から私には類い稀な海外志向の素養があったらしい。

 

 

 

でも、私は海外がとても怖かった。

海外は危ないところだと聞いていたからである。

 

小学生高学年の時、家族旅行でシンガポールに行くことに決まった。私が獣のようだった動物期から人間期に移行してからは、ほぼ初めての海外である。危なくてデンジャラスでおっかなくて危険な海外を嫌がる私に、母はこう言った。

「じゃあ、1人でお留守番してる?」

その言葉は、臆病な私にはクリティカルに刺さった。自慢ではないが、多方面で平均未満の能力を存分に発揮していた私が、何日間も家に1人でいられるわけがなかった。私は横暴な母の前に膝を屈した。そうやって、何度も泣きそうになるくらいのあまりに高度な教育の結果、私は無理やり海外というものに慣らされていった。

 

あまり否定的に捉えられても母に悪いので、私のような超奥手な人間には必要な荒療治だったと一応擁護しておこう。一応ね。

 

 

そして、時が経ち。

ニョキニョキと成長して、大学生になった私は、『留学したい病』という重い病を患っていた。親由来の病ではない。高校で留学して帰ってきた人が英語を喋っていたり、比較的身近な人が留学したりしたことに、感化されたのだ。単純阿呆である。

 

そのくせ、私は実用的な英語だと「ハロー」と「ハワユー」と「ディスイズアペン」くらいしか言えなかった。あと、「アイムファインセンキューアンドユー」という全く実践で役に立たない呪文も使えたが。

 

そんな時、大学生が真っ先に考えるものがある。短期留学だ。まさに大学生の十八番。英語とかを勉強するという名目で海外に渡るアレ。当時の私はアレすら行ける気がしなかった。英語無理。マジで無理。超無理。海外はまだ大丈夫になったけど、英語には全く免疫がなかった。

 

 

だから、大学で、英語の能力を問わない短期留学モドキのプログラムの参加者を募集しているのを見た時、天啓だと思った。私はヘイヘーイと飛びついた。砂漠に突如現れたオアシスのようだった。

 

私は人の恩情を全身に浴びる才能でもあるのか、人生1回目の書類審査と面接審査を謎にくぐり抜け、そのプログラムに参加できることになった。倍率は2倍くらいだったという噂。

 

行き先はフィンランド。運命の出会いである。

 

 

つづく。