記憶の中のフィンランド

フィンランド留学時代の記憶を元に。アフィリエイトでガッポガポ作戦。

LGBTQ的な話

お世話になります。

うう。しまああです。

 

 

LGBTQについて。

フィンランドはLGBTQ的な話が日本より比較的オープンだと思う。

少なくとも私はそう思ってる。

 

 

まあ、正直私はLGBTQなんて、どうでもいいと思ってる。こちとら、性別で友達を選んでいるわけではないからさ。ただ、フィンランドで、レズにもバイにもゲイにも会ったから、フィンランド留学とは関係のある話題だと思ってる。

 

 

さて。

フィンランドのアパートには、大体サウナがついている。部屋についているアパートも多いが、留学生用のアパートでは、アパート共用のサウナがあった。男性時間と女性時間と混浴時間があった。

 

私は、日本人の友人とよくサウナに入りに行っていた。そこによく来ていたオーストリア人(だった気がする)がいた。ピアスして、最初はいかついなと思ったけど、優しい話し方をする人だった。

 

その人がサウナを上がってから、日本人の友人と話していたら、そのオーストリア人(?)がゲイだと聞いた。喋ったら、なんともないよねという話をしたような気がする。

 

ある日、私はサウナに1人で行った。そこに彼がやってきた。ゲイだと聞いてからは、初めて2人っきりになる瞬間だった。最初はサウナで2人っきりというシチュエーションにドキドキしたけど、なんてことはなかった。普通に今まで通り話して、そして、ただのサウナ友達になった。

 

ちなみに、サウナは基本男女混合だから関係ないが、公共トイレとか銭湯とかは生物学的に男か女かが重要だと思ってる。少し前に日本で、そういう裁判と論争があったが、公共の場所で裸になるとき重要なのは、どう考えても、その人の中身よりガワの方だ。知らない人の中身なんて見えないからね。

 

 

レズの友達もいる。フィンランド人である。

これについて、私から思うことはない。だって、恋愛対象にならないってことは、友達として仲良くできるってことにしかならないから。私から恋してしまったら話は別だけど。まあ、でもレズってわかっていたら、その人の意思を尊重したらいいだけだから、なんということもない。

 

 

次にバイである。

男も女も好きな人である。

「お前らは、人間の半分しか愛せない。俺は全てを愛せる」

フィンランド人のバイセクシュアルの知り合いの言葉である。私は純粋に感動してしまった。確かに、私は人類の半分しか愛せない。選択肢に30億人くらいの差がでる。彼我の差はあまりにも大きい。私は心の狭い人間だと認めざるを得ない。もう負けた感じしかしない。器が違いすぎる。すげーぜ。

 

でも私には無理。Yves Saint Laurentの映画(イヴ・サンローラン (2014年の映画) )を見て、男同士のキスは苦手だと気がついて、少なくとも自分はゲイでもバイでもないらしいと気がついた。女性は好き。

 

 

 

LGBTQを生物学的におかしい、として批判する人もいるが、ホモセクシュアルのパートナーを作る動物も意外といる。生物ってもっと自由だぜ。

 

私が本を読んだ感じだと、江戸時代の町人たちは、もっと自由に人を愛していたと思うんだけどなあ。西洋から来た思想に、変なところだけ染まらなくてもいいのにと思う。人間もっと自由に生きればいいのよ。

 

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結局さー、好きなら好き、嫌いなら嫌いで良いじゃん、と思ってる。

私のことを好きになったゲイの人がいても、悪いけど、私は受け入れられないけどね。それは私が女性のみを対象にしているからであって、ゲイだからではないことは言っておく。まあ、そういう意味では、人を好きになった場合は、少し面倒かも。

 

 

でも、基本的には、他人の性別のことなんて、他人の好きなようにさせてあげればいいと思う。

 

ところで、LGBTQって何だろうね?

レズ、ゲイ、バイまではわかるけど、TとかQってなんぞ?

興味なさすぎてよく知らない。

 

エヴァンゲリオンの序破Qが序破急雅楽の用語)から来ているって知らなかった時は自分の無知を恥じたけど、なんかLGBTQは調べても大して自分の知識欲が満たされる感じがしなくて、調べてない。だって、調べたところで、私の結論は多分変わらないし。

 

 

 

 

それでは〜。uuuu!!! simaaa!!!