お世話になります。
うう。しまああです。
今日は、彼女と私で、どちらの方が英語を嫌っているかで、マウントを取り合った。
え? もちろん、私の方が英語嫌いである。譲るつもりはない。
彼女は「あなたは英語喋れるし!」的なことを言われたけど、そのほんのちょっとあなたより英語を知っている分だけ、ヘイトも高いのだ。だから、私の方が英語嫌いである。
うん、まあどうでもいいな。
さて、下の写真を見てほしい。
私はこれをフィンランドの光と闇製造マシーンだと思ってる。
スーパーやAlko(酒類専売国営企業)の店の前に設置されている、これの名前を私は知らない。名前は知らないが、私にとっては、とても有難い機械であることはよく知っている。
何かわかるだろうか。
ペットボトルとかカンカンを回収してくれるマシーンである。
(中はきちんと洗ってから、マシーンに入れるのが一応マナー。)
でも、このマシーン。ただ回収してくれるだけのマシンではないのだ。
回収した缶やペットボトルは大きさと数に応じて、お金になるのだ。最高である。
(フィンランドで買った、リサイクルマークが入った飲み物に限る。)
今回、なぜこの話をしようと思ったか、なのだが。
日曜日の朝のワイドショー番組で、渋谷でハロウィーンに人集まりすぎ問題が議題になっていて、その中で起きている問題の一つとして、コロナ後に路上飲みが広まり、路上に缶やペットボトルが放置されているということが取り上げられていた。
そのニュースを見て、思い出したのが、このマシーンだ。
缶とかペットボトルをリサイクルしたら、お金になる仕組みを作れば、路上に空の容器を残すトラブルが減るんじゃないかと思ったのだ。だって、それ集めたら、またお酒になるし。
でも、もう一つのことも思い出した。
フィンランドの闇の一面である。
最初は、このマシーンを見た時、フィンランドはペットボトルとかカンカンを持っていくだけで、お金になるなんて、なんて素晴らしい国なんだ、と思った。私は自分のゴミがお金になるなら、ルンルンでスーパーに行くし、嬉しくてたまらないと思う。
だから、ポイ捨ても少ないだろう、と。
ところがどっこい。
そうは問屋がおろさねえってね。
これは、フィンランドで私が嫌いなことの一つなのだが、このお金がもらえることが理由で、フィンランド人が飲み終わった缶やペットボトルを道端などに放置するのだ。
私 「え、なんでそこにおいてくの?」
友人「回収する人がいるから、大丈夫」
確かに、Vappuやミュージックフェスティバルなど、人がたくさん集まるところでは、カンカンやペットボトルが、当然のように道に捨てられ、放置されているのをすごくよく見る。
うわあ、と思って見ていたら、ビニール袋を持った、お金を持っているとはちょっと言えなさそうな人たちが現れる。そして、フィンランド人たちが、そこらへんに捨て散らかしたリサイクル容器をほいほいと拾って回収していくのだ。
時には、
「その空いたやつもらっていい?」
と、飲み終わったものをめざとく見つけて、飲んでいた人から直接回収していく。
回収された側は、それを当然と思っている様子で、特に気にしてもいない。
そういうことを見ると、知らない人ならまだいいけど、普段人あたりの良いフィンランド人の友人の場合は特にもやもやして、それに、うーん、となっていた。
喜んで回収する人と、当然のように道端に捨て置く人。
これが成り立つのは、それがお金になるから。
あれ? これを日本に導入したとしたら、どうなるんだ?
まあ、仕組みとして成り立つのはわかるんだけど、私は、これが嫌で嫌で仕方なくて、見るたびに、ちょっとだけフィンランドが嫌いになった。
私の心は、最後の清流、四万十川くらい綺麗なのだ。だから、赤子なんかよりよっぽど無垢な私の心に、ぽつぽつと、シミを落とされた気がしたのだ(嘘です。赤子には負けます)。
つまり、あのリサイクルマシーンは、私に恵みをもたらす光のマシーンであり、フィンランドの悪い面を映す闇のマシーンでもあるのだ。
故に私はこのマシーンを光と闇製造マシーンと呼んでいる。
ご理解いただけただろうか。
それでは〜。uuu!! simaaaa!!!