記憶の中のフィンランド

フィンランド留学時代の記憶を元に。アフィリエイトでガッポガポ作戦。

奢られ奢られ奔走

お世話になります。

うう。しまああです。

 

 

世の中では、奢り、奢られ論争というものが勃発しているらしい。

結論から言えば、まあ好きにしたら、という話ではある。

 

とはいえ、論争というのは面白い。

特に”奢られ当然女子”の主張は、私にはない発想を持っているので面白い。

どうやら世の中の一部の女性は、男性に奢られるのは当然だという価値観を持っているらしい。私からすれば、「ひとつなぎの大秘宝」と同じくらいに、実在を疑うレベルだ(奢られるのが当然だと、奢られる理由がないのと同じだと私は思ってしまう。奢られる理由がないのに奢られると、何が嬉しいのかわからないので、奢られ損である、というのが私の意見)。

 

 

この論争をすごく遠くの方から観戦していたら、ふと、大学時代の私の部活の友人のことを思い出した。

 

「私、誕生日が年に4回あるの〜」

 

その友人は我々同期にそう説明した。

 

前世も合わせて年4回の誕生日があるのか、単純に、4回に分けてこの世に生誕したのか、私はよく知らない。でも、本人が年4回誕生日がある、と言っているのだから、その言葉にはその言葉通りの意味があるのだ。

 

で、私を含め、同期たちはそれを歓迎した。

「いいね〜。じゃあ、4回祝わないと!」

となった。年に4回も誕生日があるなんて、とても素敵なことだ。

 

そんなわたしたちを見て、先輩はなぜかびっくりしていたけど。

もしかしたら、ジェネレーションギャップというやつかもしれない。先輩の代には誕生日が年1回の人しかいなかったからだ。

 

とにかく、私たちは、「この日が誕生日だ」と伝えられた日を一緒に祝った。

誕生日はいつも楽しい。人を祝うことが、人を幸せにする。

 

 

でも、よく考えてみてほしい。

誕生日の人間にお金を出させる訳にはいかない。だけど、友人の誕生日の数は我々常人の4倍ある。つまり、こちらの負担は1年で4倍である。ずるい。圧倒的チート性能である。

 

 

そこまで回想して、はたと気がついた。

”奢られ当然女子”もきっと同じだ、と。

 

 

彼女たちはきっと毎日が誕生日なのだ。そうに違いない。

『毎日が日曜日』なアニメソングもあったし、毎日が誕生日でも別になんらおかしくはない。

 

そりゃ、奢られて当然であるし、奢られるのが当然だと思うようにもなる。私の友人の年4回の誕生日なんて、チートでもなんでもなかったのだ。むしろ控えめな誕生日の数である。少しずるいけど、そんなにずるくはなかったらしい。軽い気持ちで、ずるいなんて思ってごめんよ。

 

むしろ、年4回くらいだと、誕生日の特別感と誕生日のお得感が両方味わえてすごく良いと思うよ。

 

 

やっぱりなんかずるい気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

まあ、この話はどうでもいいのだ。

今、困っているのは、フィンランドのことである。

 

 

ずばり、私はフィンランドで奢られすぎた。

遠い外国からフィンランドに来たから、ということなのか、いろんな人から優しくされたし、ご飯も食べさせてもらった。

 

"Velkommen!"と言われて、ご相伴に与らないのも失礼な話である。

私は喜んで、歓待を受けとった。

 

Helsinkiの友達に奢ってもらった人参のケーキ

 

 

歓待は受けた。でも受けっぱなしは気持ちが悪い。

受けた恩を返さないわけにはいかない。

 

「どうにかせねばなるまい」と、かつて私が受けたように、帰国してから、私も日本とか家とかに来た友人を歓待して、来てくれてありがとうの気持ちを込めて、奢ろうと画策した。

 

だけど、なぜか彼らは、私が奢ろうとすると、断ってきた。

むしろ会ってくれてありがとう、と奢ろうとしてくる始末。

 

 

え、あなたたち、私に散々奢ってきたじゃん。

私にも奢らせてよ〜。ひどいよ〜。

 

彼らは私の思いを袖にした。

なんだか一方的な関係で、私は悲しい気持ちになった。

 

 

果たして、私はどうすればいいのだろうか。

どなたか、有無を言わさず歓待する方法を教えていただけないだろうか。

 

 

それでは〜。